復興学部祭顛末記
2001年1月20日 曽和利光
学部祭と言えば、Pの学生にとっては年に一度の超大騒ぎシーズンでした。エポックメイキングなきつい出来事が随所で多発し、いろいろな(メロ・エロ・グロ)ドラマが生まれたものです。かく言う私も恩恵&被害を被っています。 P地下はもちろん、2演、3演、4演とすべての階に学部有志によるお店が出ていたものです。 懐かしいお店の名前をあげると・・・ ・臨床心理学研究会のラーメン屋「サイコ」 ・マスコミ研究会の居酒屋「イゾルデ」 ・ねこじゃらしの「ねこじゃらしのケーキ屋さん」 ・有志の居酒屋「ねこ野ざらしの不景気屋さん」 ・服部さんの「カレー屋さん」 ・田村さん、吉本さん、山下さんの居酒屋「馬力」 ・和田さん、高田さんのバー「翔子とムタ」 ・古本くんのバー「古本酒店」 ・うーの玄関前「メキシコ料理屋」 ・そして「高園ディナーショー」 どうですか。元気ですかー!(猪木風) これらのお店は、私たちの青春の偶像と言っても過言ではありません(うそ)。 しかしここ数年、学部祭はなぜか休止状態でした。原因はわかりません。ほかに楽しいことができたのか、それとも学部祭の魅力を伝えてあげる先輩がいなくなってしまったのか、学部当局の締めつけか、学生の無気力か・・・。まあ、もともとぼくらもたいがい無気力でしたが。 当然、(一部の)OBは悲しみました。「学部祭やってないのか!帰るところないじゃん!」 私など、あるとき学部祭の時期に京大に忍び込んで、何もやっていないことがわかったもののあきらめきれずに、友人と一緒に忍び込ん午前4時頃にP地下でキャッチボールしたものです。 悲しい思い出です。 そんなこんなで大切な思い出アイテムがまたひとつ消えたと悲しんでいたのですが、ある時P同窓生有志で飲んでいたときある名案を思いつきました。 「カンパしたら学部祭やってくれる人いないかな」 なんということのない思いつきで、しかも「金でつる」という身もふたもない案でしたが、なぜか皆の賛同を得て、カンパが集まりました。そこで、当時院生の三杉さんにお願いしてPの本当の掲示板に「学部祭復興資金提供するので、なんとか力を貸して運営者をやってくれ!」という旨のポスターを貼ってもらいました。 きっちゃないポスターですが、思いを込めました。 その後1週間ぐらい音沙汰がありませんでした。やっぱりだめかとほとんどあきらめていました。 ところが!あるとき、携帯から打ったとおぼしき改行のないメールが送られてきたのです! 「もう運営者は決まりましたか? 私は学部三回生の上原ともうします。(後略)」 おおっ!このときほどPの現役学生を頼もしく思ったことはありません。上原くんという現役学生が手を挙げてくれたのです。うう。上原くん、えろいっ。いや、えらいっ。今後、何かあったときはいろいろ面倒をみよう。なんでも言ってくれ(文責・曽和)。 そういうことで、P地下に学部祭が復興することとなりました。あとは皆さんもご存知の通りです。 (どこまで知ってるんでしょうか・・・) 私も今回、3日ばかり顔を出させていただきました。(無理やり関西に仕事を作って行った) 私が見た限りでは、まさに学部祭が復興された姿がそこにありました。 完全復興まであとひと息です。 おそらく来年はP地下だけでなく、2演・3演・4演のすべてが埋まり、OBたちが思う存分散財できるような場がいくつもできることを祈っています。頼むぞ、現役学生諸君!!! (とか言いながら、私たちもうどん屋をなんとかしてやれないか模索中) 以上、復興祭の経緯でした。
寄付金奉納者の皆さん
■昭和62年入学■ 内藤雅英さん(安田火災) 木野健志さん(リクルート) 篠木智彦さん(松下電器)
■昭和63年入学■ 松本純一さん(大阪ガス) 齋藤英志さん(東京三菱銀行) 匿名希望さん
■平成元年入学■ 岡本草太さん(スポーツニッポン)
■平成2年入学■ 郷式徹さん (静岡大学) 井上真さん (さざなみ学園) 曽和利光さん(アイジャスト) 若原常宏さん(ぷう)
■平成3年入学■ 三杉奈穂さん(京都大学) 澤村真由美さん(リクルート)
■平成5年入学■ 中井奨さん(ライコス)
■特別奉納者■ 石村雅雄先生(京都大学高等教育教授システム開発センター助教授)